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日本人はなぜ理論物理学に強いのかー海外の視点から

(by sunshine)


先日、日本人のノーベル賞受賞者が4人との発表があった(物理学賞3人、化学賞1人)。これについて下記のようなブログを目にしたので、これについて私の反論を書きたい。

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「日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだー韓国日報」

http://www.asyura2.com/08/senkyo54/msg/561.html

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1223507539/-100


■自国語で学問する

今年のノーベル物理学賞受賞者は日本人一色だ。高エネルギー加速器研究所の小林名誉教授、京都大の益川名誉教授と日系アメリカ人の南部シカゴ大名誉教授だ。日本は1949年に湯川秀樹が物理学賞で初のノーベル賞を受賞して以来、物理学賞受賞者だけで7人になる。今年も受賞者をまた輩出した化学賞に医学生理学賞を加えれば受賞者は13人になり、この分野の国家別順位でも世界7位だ。


日本の物理学賞受賞者たちは専ら日本で大学を終えたが、特に今回の受賞者3人はいずれも最終学位まで日本で終えた。80代の南部教授は1952年にプリンストン大招聘を契機にアメリカに定着したものの東京大学で勉強したし、60代の小林・益川教授は名古屋大で博士課程まで終えた。今回の受賞対象となった「小林・益川理論」自体、2人が大学院生と研究員として出会った名古屋大で誕生した。


日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだ(中略)。


日本は初等・中等過程はもちろん、大学でも日本語で科学を教える。そのため、西洋で発達した科学を日本語に訳すのを当然の基礎過程だと考えている。漢字文化圏である東洋4国があまねく使っている「科学」「化学」「物理学」などの用語自体が、アルファベット圏言語を自国語で把握しようとした日本の知識人たちによる翻訳の所産だ。「素粒子」「陽子」「電子」などの用語も、すべて日本人が作ったものだ。


そのおかげで、日本人にとって世界的水準で思考するということは世界で一番深く思考するということであり、英語で思考するということではなくなった(中略)。


一方我が国は、小学校・中学高校過程では科学の基本概念をきちんと把握する教育をしないで、大学に入ると突然英語で科学を教える。名門大学であればあるほど、理学部・工学部・医学部の物理・化学・生理学などの基礎分野に英語教材が使われる。内容理解だけでも不足な時間に外国語の負担まで重なっては、韓国語で学ぶ場合に比べると半分も学べない。韓国の基礎科学は外国に留学に行くことを初めから想定して教えているわけだ(後略)。

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私は物理学の専門家ではないが、理論物理学者の友人(30代)がいるので、最先端の現代物理学を素人にも分かるように懇切・丁寧に教えてもらう機会はある。この友人とは日本人とインド系のハーフであり、日本のインターナショナル・スクールに行き、日英バイリンガルで、アメリカのトップ大学・大学院を卒業、博士号取得し、将来はノーベル賞を受賞するのではないかとも言われている人物だ。


この友人が口癖のように言っているのが、「理論物理学は99.9パーセントがインスピレーション(ひらめき、霊感)だ。これがなければ一流の物理学者とは言えない」ということだ。


そして、「西洋科学は二元論的・分析的だが、東洋科学は非二元論的・非分析的で、全体を包括的にまず感じ取り、その後、それを証明していくという根本的に異なるアプローチの仕方をしていたので、これが各民族の”DNA”に流れている、いわば思考的土壌のようなものになっているのではないか。そこで特に理論物理学のような分野では、日本人科学者は強いのではないか」というようなことは、ずっと以前から言っていた。


従って物理学を母国語で学ぼうが、大学から英語で学ぼうが(これも極端だが)、あまり関係ないのではないか。数学や理論物理学の軸となるものはものの考え方であり、それを証明するのが数式だから、韓国語で教授が説明し、英語の教科書で数式を見るというようなことなら、母国語の教科書でなくてもいいのではないか(そうでなければ物理学の授業なのか、英語の授業なのか分からない)。


数学者や理論物理学者の論文というのは紙に数枚ぐらいが普通で、少なくて1枚だけというのもあるらしいので、英語力というより、やはり基礎的な数式への理解度の上に乗っかっての発想力、ひらめきだろう。


今回、ノーベル物理学賞を受賞した「小林・益川理論」というのは、約35年前にお二人が書いた論文が今回の受賞の対象となったとのことだが、この「クォークが6種類以上存在する」という考え方も、益川博士のひらめきを小林博士が実験して、共同で論文を発表した様だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E3%83%BB%E7%9B%8A%E5%B7%9D%E7%90%86%E8%AB%96


昔から日本(東洋)には、「あの世とこの世はつながっている」「色即是空、空即是色」といった仏教思想が広く一般庶民の生活に根付き、常人には見えないが、見る人が見れば見える透明のベールがこの世を包んでいて、こちらが現実世界なのか、あちらが現実世界でこちらはその影なのか分からないといった考え方があった。


日本の理論物理学者の先駆者達が、京都といういかにも日本文化のエッセンスが凝縮されたような環境で基礎研究を重ねたということは、日本文化と理論物理学の関係を考察する上で、大変象徴的なことのように思える。京都大学が自由な発想を重んじる大学だとしても、確たる日本文化があの土地一体に存在しているからこそ、それをぶち壊して、新しいものを生み出そうとする気概が生まれるのではないだろうか。伝統文化と新しいものがぶつかり、時には闘いながら、また時には折衷しながら、新理論を生んだということではないのかと想像する。


それを後輩の科学者たちにまるで伝統芸の職人たちが伝えるように伝え、その土壌の上に後輩達が新しいひらめきで更に新理論を世に送り出したということではないのかと。


そして東洋に遅れること約2千年、やっとデイビッド・ボームやユング、デニス・ガボールなどに代表されるいわゆる“ニュー・サイエンティスト”達によって、東洋の「無」や「空」、「気」、「暗在系と明在系」、「共時性」の概念などが西洋に移入され、以後、東洋思想とニュー・サイエンスの領域は互いにクロスさせながら、新しい潮流を作っている。


そして益川・小林博士の研究の上に”ワープ理論”(5次元理論)で有名なリサ・ランドール博士のような新しい世代の理論物理学者が続いているということだろう。

http://www.warpedpassages.com/

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%99%E3%82%8B%E5%AE%87%E5%AE%99%E2%80%955%E6%AC%A1%E5%85%83%E6%99%82%E7%A9%BA%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/4140812397


こう考えると、少し大げさな表現になるが、理論物理学は日本人が2千年かけて育んできた日本の伝統文化から生まれた新しい伝統文化であり、世界に誇れる第一級の文化ともいえるのではないか。紙と鉛筆、コンピューターさえあればできるコンパクトな、まさに日本人の得意技的文化といえる。この分野の人材をどんどん育成し、金融危機のたびに一喜一憂するエコノミック・アニマルどもをせせら笑いながら、世界中に理論物理学者を“人材派遣”できるようになれば面白いと一人、想像(妄想)にふけっている。


しかし、そのためには、日本の教育事情はよく知らないが、人間として生きる上での心棒をまず1本植えつける事をやった上で、各人、それぞれ持って生まれた素質や向き、不向きは異なるということを念頭に入れて、インスピレーションを大事にする、想像性豊かな人材を育成する為の教育改革が必要ではないかと思う。


ちなみに友人の物理学者も教科によって偏りが激しく、社会科はできなかったが、数学と物理学は勉強しなくてもトップだった。高校時代にはすでに教師を追い越して、大学用の教科書を勝手に読んでは、「文学作品よりよっぽど詩的でロマンがある」と本気で言っていた。こうなると普通の人間が理数の分野で努力して云々というようなレベルの話ではなくなる。


日本中にたくさんこのような人材が埋もれているのではないか。彼らの才能を無駄にすることがないように願っている。

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(コメント by こげばん)

■『英語を学べばバカになる』 というトンデモ

上記ブログ記事の作者、時々面白いことを書くには書くのですが、語学に関する限り完全にトンデモで、以前にもこんな記事書いてます。

帰国子女と言われてもてはやされる人の書いた英語は読めたものではない。文法的にいい加減で、内容がない。
http://www.asyura2.com/0601/idletalk17/msg/366.html

で、この記事あまりに論旨がトンデモなので、このよーな反論試みてみたのですが、

Re: この表題には全面的に賛同できない。帰国子女の英語力を維持すらできない日本の英語狂育こそ問題である。
http://www.asyura2.com/0601/idletalk17/msg/371.html

Re: 帰国子女も日本育ちも、日本にいながら驚異的英語力を身に付けることができる英語教育
http://www.asyura2.com/0601/idletalk17/msg/372.html


また『英語を学べばバカになる』 なんてトンデモ言いふらしているとこみりゃ、もー一回反論してみたほうがいいのかしらん。日本でまっとうな英語教育を実践している学校-たとえばここで何度か書いた千里国際学園や下記リンク
http://www.kobejogakuin-h.ed.jp/kyouka/eigo/


の事例見りゃ、日本で『英語を学べばバカになる』 のは、単に受験英語屋の教え方の問題ではないか、と思えますが。

あとこれは余談ですが、先年NHKでリサ・ランドール博士・東大講演会の模様を見ましたが、まず仰天したのは空席が多数あったことでした。

いまどきの東大生、入学前にたとえばこのよーに絞られてヘトヘトになっているから5次元理論などどーでもよくなっているのかどーかは知りませんが、
http://www.asyura2.com/08/social6/msg/133.html

http://www.asyura2.com/07/cult4/msg/456.html

それにしてももったいない話です。

「積分」が苦手な?日本の国際関係学者

こちらは「将来はノーベル賞を受賞するのではないか」ということはなさそうですが(失礼!)、私も30代新進気鋭の国際法教授や国際政治学者を何人か見てきました。

ただ惜しむらくは彼・彼女らの研究テーマが、たとえば「EU指令xxの意義」とか「テロ集団に対する国連制裁の法的根拠」とゆーよーな、何か微に入り細を穿つ傾向が見られることです。

これは日本の国際法・政治学会の傾向として言えそうなことですが、日本の国際関係学者は「微分」は得意ても「積分」は苦手な向きが多いように見受けられます。

「微分」も意味のあることでしょうが、「積分」が出来ないと欧米国際政治学者が考えるような「大戦略」に対して盲目となってしまい、日本の国際関係学はいつまでたっても欧米の下請けで終わるのではないか、と危惧しています。

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