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黒人キリスト教について

ウソ捏造工場さんから、以下のようなコメントを頂いたのでお応えいたします(「である」「・・だ」調にしますので、あしからず)。

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■黒人キリスト教について質問その他

sunshineさん、どうもです。

黒人キリスト教の教義には、故郷であるアフリカに
帰ろう、というような考えはないんですかね。
(ジャマイカのラスタのような)

あ、それから、「オレオ」で思い出しましたが、
白人になりたがる、というか白人文化にどっぷり
な日本人は何と呼ばれるか知ってます?


奴隷居住区には長老格のリーダーがいて、説教師として指導した。これらの集会は週に2,3回、森の中や前もって指定された屋外の秘密の場所で開かれた。集会を知らせる合図には、主人の目をごまかすために、讃美歌からの歌を使うことが多かった(奴隷達の歌には、表と裏の両方の意味が隠されたものが多いといわれている。これは西アフリカの伝統文化であり、韻を踏んでラップするという現代のラッパーたちにもひきつがれているもの)。


これらの集会は月明かりか、全く明かりのない暗闇の中で行われることが多かった。寒い日や晴天の時には、仲間の小屋で危険を犯しながら行った。彼等は主人に物音が聞こえないよう、古い刺し子のかけ布やぼろ布で小さなテントを作り、それをぬらして、その中で行っっていたらしい。


このように黒人たちの中には、一方では白人達に強制されて白人教会に行き、他方では自己のアイデンティティーを求めて秘密集会に参加するという「二重生活」をする者が多くいたが、1693年10月に最初の公認された黒人団体として、「ザ・ソサエティー・オブ・二グロス」がニューイングランドに誕生する。


1730年には、清教徒の一派から派生したバプティスト派による「偉大なる目覚め運動」が起こり、野外での会合、「キャンプ・ミーティング」が各地で開かれ、奴隷達も主人の命令によって大勢参加した。しかし、黒人たちの中には白人の説教が理解できなかったり、讃美歌を歌う時、白人と全く違う歌い方をしたので(掛け声をかけたり、アドリブを入れたりして歌った)、白人たちの中には気味悪く思うものも大勢いた。


1743年には、フォーデ・アイランドに最初の黒人教会がバプティスト派によって創立され、その後次第に各地で設立されることになる。そして、1780年から1830年にかけて、「第二の目覚め運動」が起こり、黒人説教師の数も増えていった。その後、多くの困難を伴いながら黒人教会はさまざまな宗派の中で発展を遂げ、現在に至っている。


黒人キリスト教の宗派について

黒人が最も多く所属している宗派は黒人プロテスタント系(約2,50万人)、次いで黒人ローマン・カトリック系(約200万人)、白人プロテスタント系(役120万人)、黒人イスラム教(約120万人)-2004年調査より。


黒人プロテスタント系の3大宗派とは;

・バプティスト派

・メソディスト派:白人によって設立された黒人バプティスト派とは異なり、黒人によって設立された最初の宗派

・ペンテコースタル派:1960年、ロサンゼルスの黒人牧師によって始められ、急激に信者数を増やしている宗派。これは全世界に4千万人もの信者を持ち、特に中南米、アフリカなどで受け入れられている。特に中南米では80%のプロテスタント信者がこれであるといわれており、アフリカでは約5千ある独立した宗教団体がこの派に属している。伝統的なプロテスタントの「三位一体」を否定し、イエス・キリストのみを神とする教義。人間の持つ超自然的な力を信じ、手の平を患部に当てて治療をしたり、精霊が人々を口を借りて言葉を語りかけるといったことも信じられている。熱狂的な歌やエクスタシーにとんだダンス、ドラムスやその他の打楽器を用いた演奏をし、最もアフリカの宗教的要素を持った宗派と言われている。彼等は社会変革の為のさまざまな活動にも積極的に関わっており、アメリカ大都市での公共住宅建設プロジェクトでも活躍している。


他にも、プレスビタリアン派、エピスコパリアン派、チャーチ・オブ・クライスト派(この中のまた一派がオバマの教会ートリニティー・チャーチ・オブ・クライスト)、コングリゲイショナル派、ルーセラン派、セヴンスデイ・アドベンティスト派など、色々ある。


黒人神学について


私が話を聞いたオークランドの黒人牧師によれば、次のようになる。


「黒人神学は白人神学の枠内では捉えられないもので、白人神学が個人主義的、論理的、固定的、厳格主義的、自民族中心主義的であるのに対し、黒人神学は、共同主義的、感性的(霊的)、即興的、弛緩主義的、文化相対主義的である。しかし、"黒人神学"という言葉の使い方をすること自体、無理がある。なぜなら”神学”という方法論は西欧の学問が生み出したものであり、それで自分たち黒人社会の宗教経験を表現することが可能なのか、疑問である。神学の方法論自体、黒人教会の伝統にはないものだからだ」

黒人キリスト教そのものが白人キリスト教とは異なり、程度の差こそあるものの、アフリカ的要素を盛り込んだものであると考えて良いと思う。


アフリカへの回帰について


黒人たちがアフリカへ帰ろうという運動を起したのは、過去、何度かある。まず、1817年、事業家であったアフリカ系アメリカ人のポール・カッフィーによって「アフリカに帰ろう」という運動が起こり、36人が現在のリベリアに帰った。そしてその後何度かこの計画は実行されたが、アフリカに到着したとたんに、再び土着の支配者に捕らえられ、奴隷にされるということが起きて、計画は中断された。後に1860年代になって、約1万5千人のアフリカ系アメリカ人達がリベリアへ帰り、国を作った(リベリアという国名にした)。


第一次大戦後には、ジャマイカ生まれの黒人・マーカス・ガーヴィーがアメリカに来て、「アフリカへの回帰」運動を開始、この運動は大いに盛り上がる。そして、アフリカへの移住経計画を推進するため、船会社を経営する計画を立て100万ドルを手にする。そして船も購入し、アフリカへ出発しようとしていた矢先に事業不振で断念。彼自身も募金に絡む詐欺罪で逮捕された。


こうした歴史的変遷を経た後、現在では物理的にアフリカへ移住しようという運動はなくなり、祖国・アフリカの文化は内面に持ちつつも、アメリカ人として白人と対等に生きる権利を与えよ、という風になって来ている。


ジャマイカのラスタに似たようなものはペンテコースタル派だが、なぜジャマイカをはじめとするカリブ海諸島やブラジルなどにはアフリカ的要素が濃い土着信仰が色濃く残されているかというと、カリブ海諸島は元々、アメリカへ奴隷を運ぶための中継所であり、体力のないものはここで降ろしたり、新大陸での生活に慣らすために訓練をしたりするための場所だったので、彼等の宗教については余り干渉しなかったからだといわれている。また、ブラジルはラテン系のポルトガル人が支配していたので、アングロサクソンに比べると、緩やかで、余り厳格ではなかったからだというのがその説である。


**>「白人になりたがる、というか白人文化にどっぷりな日本人は何と呼ばれるか知ってます?」


これは知りませんねえ。なんていうのですか?


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